産業遺産国民会議

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2021 08
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海外専門家、英国人ニール・コソン卿って何者?

当センター内の一角に、ニール・コソン卿のインタビュー映像が繰り返し流れています。開館時から閉館時まで常に彼はメッセージを発信つづけています。

もし海外の専門家の方々が本腰を入れてサポートしてくれていなかったならば、『明治日本の産業革命遺産』は世界遺産にならなかったかもしれないし、登録までもっと時間がかかっていたかもしれませんでした。そして、自治体関係者を含む多くの日本人が、日本の近代化・工業化の起源やその後の進展への気づき、そして、共有する機会が限定的になっていたかもしれなかったのです。

で、

コソン卿で誰? 

当然の疑問です。

すでに来館された方の中でも依然その疑問をお持ちかもしれません。当方ガイドさんが自信満々にコソン卿に言及にしている最中に、「ところで、コソン卿で誰? 何で彼がここに? 何をしたの? で?」と質問したかったことでしょう。

はい。当然です。

彼は、例えて言えば、日本の文化庁の長官に匹敵する立場の方(当時)であり、産業考古学という専門分野を作り上げた開祖です。そして、Sir の称号が示しているようにエリザベス女王からその称号を与えられた人物でもあります。

コソン卿は、登録までの道のり映像で語られていますが、日本の世界遺産暫定リストへの登録がかなわなかった時(20071月)、自治体連合軍間の結束が揺らぎました。関係者一同は疑心暗鬼に陥りました。その翌月に萩で開催された国際シンポジウムの檀上で、彼は、このプロジェクトの続行する意義を唱え、希望を与え、再度結束する力を与えてくださいました。再度結束し、前進するきっかけを与えてくれた方こそが、コソン卿だったのです。

現在展示のインタビューは、そのシンポジウム後に録画されました。

彼のメッセージは以下です:

萩で行われたシンポジウムは、日本、そして世界各国の産業遺産、産業考古学の専門家が集まる機会となりました。私個人にとっては、これらの明治時代の遺産の重要性について主張のようなものを述べる素晴らしい機会となりました。

会場のほとんどの方が重要性を認識していないと分かっている中で行われました。さらに、より重要とも言えますが、近代日本の起源がどこにあるのかも広く理解されていない中でことです。

また、萩で行えたことにも意義があります。萩こそプロト工業化していた地域だからです。つまり、明治維新以前から産業活動が行われていたのです。日本を産業的に近代化させようという明治政府の強い意志を支えていた要素として、古くからある日本の工芸技術を活用できるということが上げられます。萩ではそれ(各種工芸技術)が顕著に表れていました。反射炉、たたら製法といった製鉄技術などがその例です。

これらはどれも明治時代以前から日本国内で確立されていた技術です。したがって、明治時代の産業化計画を推進する先駆けとして、萩はとても重要な地域であり、さらに、世界遺産に推薦する根拠となる他の主要遺産についてより広く理解するきっかけとなりました。

日本にある遺産群を初めて見た時になぜ驚き、興奮したかというと、それらが持つ価値に気付いたからです。また、日本の人々が自国の産業遺産について広く理解していないと気付いた時も同じでした。

日本の産業化の歴史について、日本の教育は広く取り組んでこなかったのです。これはイギリスや他のヨーロッパ諸国でも全く同じで、産業化の歴史は、すっかり見落とされることが多かったのです。すると、これは日本にとって素晴らしいチャンスだったのです。日本にある遺産群が世界遺産に認められるほど、国際的にも重要だということを理解すると同時に、それを日本の人々、特に若い人々に、国が産業化した過程の意義を教える機会として利用できるのです。

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