産業遺産国民会議

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2021 10
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『私の見た世界遺産①「端島上陸記録」事務局・樫原真理子』

端島は長崎港から南西約18km の海上に浮かぶ小さな島です。複数回の埋立てを経たのち、海岸線の長さは約 1,200m です。その明治期に造られた護岸堤防こそが世界遺産価値を有しています。端島が「軍艦島」と呼ばれるようになったのは、島のシルエットが日本海軍の戦艦「土佐」(1920年に起工)に似ていることによります。

この階段も1910 年までに造られた遺構の一つです。上陸当時は、護岸にかかるこの階段も、世界遺産価値を証左する要素だとはまったく知らず 。何気なく撮った写真に、恥ずかしながら、その価値を当時の自分は見出すことができませんでした。

端島での暮らしは、端島で暮らした人にしかわかりません。 1974 年に閉山、完全に無人化されたため、端島での生活を自ら語ることができる人は限られてきます。遺産価値と共に当時の端島の活気と躍動と、そして人々の誇りが、広く後世に伝承されていくことを願っています。

(大正5年に建てられた30号棟は7階建ての旧鉱員住宅)
端島は“最先端の島”でした! ①日本初の鉄筋コンクリートの高層住宅、②日本一のテレビ普及率、③最盛期には東京の 9倍もの人口密度!

端島小中学校同窓会の方々も、限られたエリアにしか立ち入ることはできませんでした。子供の頃にお友だちと遊んだであろう学校や、エックス階段を見上げて、それぞれに思い出を巡らせ、感慨深げなご様子でした。

(1,500万トンの石炭を貯炭場へと運んだベルトコンベアの支柱)
端島で採掘される良質な石炭は操業から閉山までの84 年間で1,500万トン以上出炭! この大量で良質な石炭があったからこそ、日本の近代化が推し進められたと言えます。

私の周りにいらっしゃる端島元島民の方々は今でも故郷を愛し、機会ある毎に集まっています。当時の思い出を 共有し懐かしんでいらっしゃいます。そして、過酷ではあったものの、日本の産業の推進力となっていた端島炭坑と当時の生活を誇りに思っています。(おわり)

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