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2024 02
22

研修レポート 全国石炭産業関連博物館等研修交流会台湾研修

全国石炭産業関連博物館等研修交流会台湾研修に参加しました
(産業遺産情報センター M.M)

2024年120日から3日間全国石炭産業関連博物館等研修交流会(以後、全炭博研)の台湾研修に参加させて頂きました。全炭博研は、全国の各産炭地をフィールドとして、石炭産業の歴史と文化を後世へ伝える活動を行っている博物館や研究者・団体などの交流深化と自己研鑽を目的とする自主的な集まりです。博物館・資料館職員だけでなく、博物館と協働、あるいは自ら地域で石炭産業に関わる調査研究・教育普及活動に当たられている方、大学教員、個人研究者など広く対象としています。

今年度は、石炭産業史的に日本と関係が深い台湾で開催し、炭鉱関係の博物館・資料館や遺跡などを見学、日本と台湾の炭鉱をテーマとしたフォーラムなどを開催しました。

その視察内容をご紹介させて頂きます。

 

一日目(120)は台湾の北端、新北市瑞芳区金瓜石(きんかせき)にある「新北市立黄金博物館」を視察しました。台北市内のホテルからバスに乗り約1時間半、箱根のターンパイクさながらの山道を登り辿り着きます。

新北市瑞芳区金瓜石は海に面した小さな町ですが、日本統治時代、金と銅の産地として繁栄を極めました。19世紀末に始まった開発は、約100年余操業を続けましたが1987年に鉱脈は掘りつくされ閉山しました。

現在は観光スポットとなっており、我々が訪れた時にも観光客でにぎわっていました。建物はかつての台湾金属鉱業の事務所を改築したもので、1階は金瓜石の金鉱と銅鉱の歴史と文化を紹介し、日本統治時代や台湾金属鉱業時代の資料や坑夫たちが使った採掘道具などを展示しています。また、坑道を再現した模型では、地下坑内の実際の状況を知ることができます。2階は金の特性やその利用法の紹介とゴールドを使った工芸品も展示されています。ここで見逃せないのが、220キロに上る世界最大の金鉱石です。展示ケースの両側にある穴から手を伸ばして、その金塊に触れることができます。


金塊に触れ良い運気を取り入れている(?)様子。

 

金瓜石の中心をなしていた本山鉱脈の坑道は縦横に交差し、全長600キロ以上にも達します。坑道が完全な形で保存されているのはこの「本山五坑」だけだそうです。

園内には派出所や郵便局、工員の宿舎等が今も残っています。

また、庭園にはゴルフ練習場があり、地面は芝生では無くコンクリートだったそうです。コンクリートは高級素材であり、水はけが良いことなどにより採用されたそうです。

 

金瓜石から流れ出た水により、いまだに陰陽海の色は2色に染まっています。

 

次に我々は猴硐煤鋼博物園区にある瑞三炭鉱跡を訪問しました。

かつての瑞三選煤工場倉庫を改造して、願景館という炭鉱資料館として生まれ変わったところです。元炭鉱マンの有志が運営している史料館は、豊富な一次史料や証言等により,かつて繫栄していた炭鉱時代の息遣いを感じることができます。

史料館の内外には山本作兵衛氏の炭鉱記録画が数多く展示されており、当時の炭鉱作業の様子を紹介しています。

 

炭鉱で働く人の中には女性も多く、出産を控えた妊婦もいたとのこと。その上、ある妊婦は炭鉱で出産した、という話を聞き、大変驚きました。生き生きと働く女性たちは貴重な労働力であり、彼女たちにとっては生活の糧として炭鉱があったのです。

 

猴硐(ホウトン)駅の近くには、先ほどの史料館とは打って変わり、新北市立博物館で現代的な展示を行っています。

 

ここでの展示内容は当時の設備の様子が分かる技術的な大物の展示がされています。

旧猴硐駅舎を再利用していることから、かつて炭鉱を運んでいた線路が残っています。

 

二日目は鉄道の旅から始まりました。この日は朝から生憎の雨です。

本来であれば楽しめる車窓からの景色はありません。乗換え駅の「松山駅」で面白いコーナーがありました。日本の四国「松山」と台湾台北の「松山」、同じ駅名を通る2つの路線を紹介していました。

 

瑞芳駅で乗換え、ローカル線の平渓線で終点の菁桐駅で降り、雨でぬかるみのある炭鉱遺跡を視察しました。

菁桐駅は、1929年に建てられ、90年以上の歴史を持つ古い駅で、国家三級古跡に指定されています。台湾では、現存している日本式木造駅は全部で4つありますが、その中の一つでもあります。駅の横にある「菁桐礦行生活館」には炭鉱業が盛んだった頃の写真や資料、当時使われていた道具などが展示されています。ここで平渓の歴史をくわしく知ることができます。内部には炭坑トンネルの模型もあり、炭坑内の複雑な構造を知ることができます。


かつてこのトンネルの奥から石炭が運ばれ、選炭場へと運ばれた

選炭場で選別された石炭は選炭場から直接線路の上の貨物列車に乗せていたそうです。ダイナミックな手法ですね。

 

菁桐を後にした我々は、今回のイベントのメイン会場でもある新平渓煤礦博物園区を視察し、講演会及びフォーラムに参加しました。

この新平渓煤礦博物園区(台湾炭鉱博物館)は2023(令和5)年111日、釧路市立博物館と友好館協定を締結しました。締結式は、新平渓煤礦博物園区で開催され、釧路市からは市長・市議会議長・教育長、市議会日台友好促進議員連盟、釧路日台親善協会、台湾からは政府文化部常務次長(文部科学省事務次官に相当)をはじめ、東北角・宜蘭海岸国家風景区管理処、新北市・同市平溪区、日本台湾交流協会などから多くの出席があったそうです。

  

新平渓煤礦博物園区の展示と炭鉱トンネル

三日目は前日と同様に雨、時々強風と強めの雨脚でした。

この日は台湾本島の北部にある基隆⼋⽃⼦に向かいました。本来であれば風光明媚な景色を楽しめる海岸沿線ですが、強風と雨によりバスから降りることすら出来ませんでした。

基隆・瑞芳周辺には炭層が集中しており、この地には清国井という台湾初の官営竪坑がありました。船舶に石炭を供給するために1877年頃に設立されたものです。しかし、フランスのアジア進出により炭坑を取られまいと、この竪坑に水を入れ採炭が出来ないようにしたそうです。現在はその遺構がひっそりと残されていました。

    清国井の記念碑と竪坑跡

基隆を後にした我々は今回の最終視察地となる国家鉄道博物館(準備処)に向かいました。

国家鉄道博物館は日本統治時代の1935年に建設された旧鉄道工場跡地を活用するもので、移転後に国指定の文化財となり、2016年に国の主導で計画が決まりました。現在、東京ドーム3.5個が丸々入る敷地内をいくつかのエリアに分けて建物の修復作業が行われており、今後完成した部分から段階的に開放されていきます。

修復中の建物と展示室の様子

  

実際に乗車できる車輛や負傷した兵士を運ぶ列車等も展示されています

 

我々は、一部公開されている浴室や展示館、石炭などを運ぶ貨物列車を始め各種車輛が置かれている倉庫等を視察しました。

浴室は、一度に大勢の工員が作業後に入るため浴槽では収容出来ず、スチームを出していたそうです。

展示されている車両の中には、以前日本の新幹線や特急にもあった食堂車を再現したものもありました。

国家鉄道博物館の全面開館は2026年を目指しているそうですが、その時には実際に食事を提供して観光運行が出来ているかもしれません。

いずれにしても鉄道ファンの垂涎の博物館となることは明白です。

 

以上が、今回の台湾研修の訪問地です。

行く先々で耳にする「日本統治時代」という言葉。毎日早朝から夜まで活動し、体力勝負ではありましたが、50年間の日本統治時代を含め、台湾産業の発展について視察先を巡ることで学ぶ良い機会となりました。

また、各施設の資料には、かつての日本を感じさせる懐かしい思いがしました。

おわり

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